2017年02月27日

小沢健二についての長い雑記

新譜「流動体について」を買ってきました
いい大人ですが、あんまり寄り道なく帰宅

CDを走らせる時のどきどきはなんで変わらないんだろう
まずは歌詞カードは見ない、声で言葉を拾う
なにそのマイルール
なんで変わらないんだろ
ちょっとはずかしい

友達がライブでむせび泣いたとメールをくれたり、SNSで紅潮した思いが流れていても、
そっかーと
興味はもう薄れてしまったんだと感じるだけで

それでもMステで歌うと知って、録画して、えらくぶったぎった「僕らが旅に出る理由」とのメドレーを見たら、週末買いに行ってた
テレビすごいね
あれではいかんちゃんと聴かねばと思った
そしてほんとめんどくさいわ、私

今聴いてるけど、あっぷあっぷしてる
溢れてて、試されているようで、負けたくない
声とメロディを感じたいのにアレンジもほっとけないし、ひとりで慌ててる
しあわせ

『LIFE』の音像と言葉選び、「ある光」で感じた世界
あー私の語彙では足りないや全然足りない
しあわせ

『LIFE』は、歌詞が字余りみたいにあふれてて、『犬』での歌と楽器と両方でことばにしているような最高なあれはどこ行った、と思ったけど、
10代の私には、お菓子みたいな世界観と真城さんのファンクでキャッチーなコーラスにわくわくしてた
今聴くと、力強い言葉をゴージャスで隙のないアレンジにわざとぶつけているようで、
甘いのに時間の不可逆さと残酷さ、未来への不安と焦燥みたいなものも感じてすき

そのあとの作品は実験が続いて、私は他の音楽を知って、恋をしたり自分でバンドをするのがたのしくなって、「ある光」が出たことも知らない程度になってた

「ある光」を聴いた時はもうだいぶ大人でしたが、いちばんすきってくらいすきだし未だにどきどきする
そして、これを聴くと『犬』の歌詞裏側にある長いセルフノーツを思い出します
当時、作者の言葉は少なくて相手に委ねる方がかっこいいと思ってた私は、自身がこんなに思いを連ねるのに最初引いたけど、器用なのか不器用なのかわからんなこの人、と、だいすきになる原因になった
わからんもんだ
歌詞にする視点や題材は変わっていっても、表現方法やテクニックが変わっても、まんなかは変わらない、たぶん
だからすきなんだろうね

なんどもいうけど私は言葉がだいすきで、こうして書いているわけです
なぜ書くかというと、喋るのがうまくいかないから
いや、おしゃべりなんだけどさ
喋るのってずれても誤解だとしても相手に残ってしまったら取り消せないじゃんか
メールやLINEもそうだけど(なのであまりうまくいかない)
まあ、文章も、感想文とか小論文とかが得意なだけで、じぶんのこと書くのも言うのも下手
基本的に勝手なので、美しい日本語とかにもそんなに興味はない

ただ、良いものは良いって言いたいじゃんか
すきなことやすきなものはせめて得意な形で
でも文字には限界があるから、気持ちに近くなるよう選んでだから時間をかけて
できる限り間違いや後悔が少なく伝えたい

だって曲はそうやって作るでしょ?
で、それってわくわくするでしょ?
私にとって、言葉にするっておんなじかんじ

何かに触れて、それに対して思いが溢れてことばにしたいってね
受け手の特権だと思う
すきなものがあるってすてきね
なにがあっても、そう感じるものに出会い続けることができるなら、わたしはやっていける

あけましておめでとう
今年もよろしくお願いします
posted by 74 at 22:07| Comment(1) | column | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お前が小沢健二を語るな。
Posted by at 2017年05月07日 05:08
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